高崎市群馬商工会

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 地域の著名人のご紹介

◆ 土屋 文明

歌人。明治23年、保渡田に生まれました。旧制高崎中学から旧制一高、東大文学部卒。大正13年『ふゆくさ』を処女出版。以後積極的な作歌活動を展開する一方、『万葉集名歌評釈』などを脱稿し、万葉の研究者としても知られています。

代表的な著作は『往還集』『山谷集』『青南集』『万葉集私注』。昭和61年にはその業績が認められ、文化勲章を受章。

平成2年12月8日没 享年100才 昭和63年 名誉町民


◆ 福田 赳夫

元内閣総理大臣。明治38年、足門に生まれ、旧制高崎中学から旧制一高、東大法学部を経て、大蔵省に入省。官房長、銀行局長、主計局長を歴任。昭和27年に政界に入り、昭和40年に大蔵大臣、昭和51年には第67代内閣総理大臣に就任。

日本の首相として初めて中東を訪問するなど外交面での活躍、また歴代内閣の未解決案を次々と処理したその手腕には高い評価があります。

平成7年7月5日没 享年90才 平成2年名誉町民


◆ 中澤 正朗

三益半導体工業株式会社代表取締役会長。大正10年、足門に生まれ、勢多農林学校を卒業。昭和44年三益半導体工業株式会社を設立し、以来、企業人として卓越した指導力と経営手腕を発揮。株式を店頭公開(現在一部上場)するまでの優良企業に発展させ、地域経済の発展と雇用の促進に大きく貢献しました。

また次代を担う立派な人材の育成を願い、多額な教育機器や教育資金を寄贈。紺綬褒章を2度受賞。

平成13年12月13日没 享年80才 平成7年名誉町民


◆ 大沢  清

1906年生まれ。1925年、単身フィリピンに渡り、23才で独立、運動用具・化粧品等の総代理店を開業します。 1941年日本軍のフィリピン侵攻によりマニラから北部への撤退を余儀なくされ、その後モンテンルパの収容所に送られます。そして終戦を迎え、日本に送還されることとなります

1959年、ふたたびフィリピンへ渡り、1968年、日比合弁の鉱山開発会社フェルナン・エンタープライズ社の社長就任。同社を辞した翌1975年、 日本郵船のバックアップで日比合弁NYK・フィル・ジャパン・シッピング社を設立し、同社社長に就任

1982年、在フィリピンの日本人を中心にマニラ会が結成され、初代会長となり、 日本人社会のリーダーの一人として活躍します

1993年、比日友好協会から民間人として初めて比日友好協力賞を受賞すると同時に、モンテンルパ市名誉市民となりました。

平成14年1月没 享年96才


◆ 山村 暮鳥

明治17年1月、群馬町棟高に生まれました。本名 木暮八九十。後に土田姓となります。幼くして秀才の誉高く、16才のとき、堤ヶ岡小学校の代用教員となりますが、二年余りで故郷を離れます。

聖三一神学校に学び、伝道師となり、各地に移り住むと共に、近代詩の先駆者として数多くの作品を発表します。

後年、茨城県大洗町を安住の地と定め、病苦と貧窮のうちにも詩境ますます冴え、萩原朔太郎、室生犀星と共に日本詩壇の天空を舞う三羽の大鷲と言われました。

大正13年12月没 享年40才


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